私の持っている唯一の詩集「釋超空・会津八一」(新潮社・日本詩人全集16、昭和43年
初版)に、山本健一による「釋超空・人の作品」と題された短い解説が掲載されている。
恐らくこれ以上の解説はあるまい。少なくとも私には。
以下、この解説の冒頭部分を、私自身が反芻する目的で以下に書いておこう。
(ただし、読みやすいように、適宜、空白行等を入れている。)
以下、その解説。
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北原白秋に「折口さんの歌について」と傍書した『黒衣の旅びと』というエッセイがある。その一節に言う。
自然の観照の於いても、赤人よりも黒人に深みを見られるごとくに、この人は
複雑である。
この特異にして幽鬼(いうき)のやうな経験者は、幽かに息づいては山沢をわたり、
ひそかに息をこらしては林草の間をたづねてゆく。音こそきかね。道のはるかに立つ
埃(ほこり)にも眼を病むのである。』
これは超空の人および歌の特質をよく見据えた言葉であった。
超空の旅の歌の「ひそけさ」や「かそけさ」が持つ不思議な寂寥感ーーと白秋は言い、
そこに尋常人の鍛錬(たんれん)によっては得られぬ、不気味なほどの底から光って
響いて来る、未だかって見ないひとりの人の歌の本質を見た。
の下ではあっても、冷々とした黒い毛ごろもの気色や初めて触れて来るたましひの
圧迫を感じずには、すれちがへない或るものがあらう」(同) とまで言っている。
「ひそけさ」や「かそけさ」は、超空の歌にしばしば出てくる形容詞である。
またかと、うんざりする読者もあるかも知れないが、こういう言葉を、
ただのセンチメンタリズムと受取ったら間違うのである。
それは作者のはかりがたく深く意識の底から聞こえてくるうめき似ている。
そして、言葉の表面の意味内容とは別に、歌の底に沈んでいる一種の重苦しい
不気味な暗さを暗示する。
それを感じ取ったればこそ、白秋は「冷々とした黒い毛ごろも気色」と言い、
「黒衣の旅人」と言ったのであろう。その「黒」は、人間性の根源の暗黒を示すものだ。
(以下割愛)
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