2014年8月14日木曜日

32 牽(ひ)かれきて・・・

『牽()かれきて 子らと遊べる馬の子は、
       おのれ みじかき尾を ふりにけり 』
***
釋超空うたをみていると、馬がよくでてくる。
この掲題のうたは下記のうたが先ず連想してくる。

笹の葉を喰(は)みつ々 口に泡はけり。
   愛(かな)しき馬や。 馬になれる子や 』

このうた『笹の葉・・・』については既に書いた。

この二つのうたの光景は幸せで愛らしく温かい。
作者の微笑も感ぜられ、とても、のどかだ。

生の時間の流れがこのまま凝縮し永久に固定できれば、どんなに、この世は住みやすい幸福な世界だろう !!

しかし、作者は、というより我々は、『供養塔』をも凝視しなければならない。
生とは、なんと残酷であろうか。
時の流れとは、なんと残酷だろう。

『供養塔』の以下の二つのうたの馬は、かっては、無邪気に『みじかき尾をふり』また『口に泡は』いていた子馬であったことを思うと、私は『時のながれ』ほど不条理なものはないと思う。 繰り返すが、この世の生は、なんと残酷だろう。


『 人も 馬も 道ゆきつかれ死にゝけり。旅寝かさなるほどの かそけさ 』
                                   
『 道に死ぬる馬は、仏となりにけり。行くとどまらむ旅ならなくに 』