2014年8月11日月曜日

23. 誰一人 客はわらはぬ・・・

誰一人 客はわらはぬはなしかの工(たくみ) さびしさ。 われも笑はず 』
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このうたの「さびしさ」は、いままでみてきた釋超空のうたの「さびしさ」とは少しヴェクトルの方向が違う。

一口に喜怒哀楽というが、「笑う」はこの喜怒哀楽の中にあるのか。
笑は喜怒哀楽の範疇にはないように私は思う。

喜怒哀楽は人間以外の他の動物の情動でもありえると思われるが、
この世の動物で人類以外に「笑う」動物がいるだろうか。
おそらく、いまい。

以前、ラジオを聞いていたら「能楽」と「狂言」のいずれかが難しいかという話題になった。そのとき、ある狂言師が「狂言のほうが難しい」と言った。

この場合、何をもって「難しい」とするかを詳しく定義しなければ話が混乱するが、通常、人を笑わせるということには、人を「喜怒哀楽」せしめるより、より高度な工(たくみ)が必要だろう。

客が笑ってくれない落語家は、さぞ、つらかろう。
(「はなし」が、いわゆる人情噺ならば、それは別問題だが)

しらけた客の前の落語家の「つらさ」を釋超空は「さびしさ」と言った。

なるほど、客席からおり楽屋に戻ったその「はなしか」は「さびしい」に違いない。

これも人世の切実な寂しさの一つだと言えるだろう。